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CRITIC

1999年 太田恒實「 笹井史恵個展」図録

 笹井史恵は、漆の素材にひかれ、自分の感性に最も沿った表現手段として漆芸を選んだ新進の作家である。初めての個展を開いたのは1996年、京都の画廊でのこと。初個展を取材した私は、漆という表現手段を、伝統的な工芸臭もなく、いかにも自分にフィットした軽やかさで自身の造形作品にしていた笹井の無垢で純朴なインスタレーションを今でも鮮明に記憶している。
 わが国の漆芸は、伝統的な工芸のなかでも、世界的な視野で言えば最も高く評価され、受け入れられてきた歴史をもつ。ちなみに英語の辞書で小文字のjapanをひくと、「漆器」とある。日本が漆器の代名調となったほど世界が高く評価したのは、中国のchinaが陶磁器の代名調となったのと同じ次元で認められていたことの証左である。そうした漆芸の歴史は、安土・桃山時代の南蛮貿易で盛んに西洋に輸出された南蛮漆器に負うところが大きく、その大半をつくっていたのが京都の漆器の工房である。はるか時空を超えているとは言え、京都市立芸術大学で漆芸を学んだ笹井も、京都の漆芸の歴史や文化の末端につながっているとも言えるのだが、まだ若いアーテイストである彼女の関心の主眼は、漆芸の伝統文化よりも、漆芸の素材である漆という素材の特性、笹井自身の言葉を借りれば「生物的な感じにひかれる」という漆の属性を、自分の表現にどう生かすかという点にある。
 いうまでもなく漆は、漆の木の幹に切り口を入れ、にじみ出る樹液をヘラで掻き集める漆取りが出発点である。この樹液を「動物の身体で言えば、血液のようなもの」と形容した笹井の言葉を、私は新鮮に受け止めたが、そうした感受性こそが、彼女の漆を使智光造形表現に生物的なトーンを響かせてきた大きな要因でもあろう。初個展は、会場の床に敷かれた落ち葉の上に、乾漆・塗立の技法でつくった赤い球根状のオブジェがいくつも点在し、それぞれに白い芽が伸びたような形を見せていた。漆芸の伝統文化につながる球根が、漆の樹液をとる林の地面から、新しい漆の創作表現の芽生えを始めたかのような、生き生きとして手垢のつかない純情で初な発芽を連想させる植物的なイメージを放っていたものだ。
 翌97年の2回目の京都での個展では、球根ふうのオブジェは、赤だけでなく黒漆の色も加えて、木の幹に群がったり、芽や蔓が伸びるような表情も多彩豊かに成長の跡を示していた。そして岐阜の画廊での個展を経て、赤い漆の塗立のオプジェは、愛らしく、どこかユーモラスで、ち ょっと不気味な感じもする雰囲気をもつようになった。そして、こんどの新作個展である。
 壁などにある数々の赤い漆のオブジェは、天平の仏像と同じように中が空洞の脱乾漆の技法でつくられるようになり、愛らしい二つの突起がつき、その中央付近に女性的な性を連想させる穴があいている。フロントの壁面に据えられた濃紅の大きな鼓状の造形からは男性性器のような突起が下方向に伸びている。これらのインスタレーションから生き物の生殖、植物の雄しべと雌しべの交配のメタファーを見取るのは容易だろう。
 それは漆の生物的な素材感にひかれ、それを生かした現代の漆造形をめざす笹井が、自らの創作の球根を大きく育て、それらが生殖段階にまで成長してきた表徴と見ていいかもしれない。 自身の感性と漆の素材感とを調和させつつ展開してきた笹井の表現行為が、力強さと豊かな語り口を着実に伴ってきたことを実感させる個展である。

MAKOTO OHTAGAKI(京都新聞社論説委員)

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