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CRITIC

2007年3月 上野昌人「目の眼」

 作品が本人に似るということは、よくある話であるが、笹井さんの創る形もまた、失礼ながらご本人そっくりである。それは形の問題だけではなく、素材や質感すべてが“らしい”のである。
 最初にお会いしたときに「なぜ漆という素材を選んだのですか?」という問いに対しても「最初は陶芸をやってみたかったのです。でも焼物って、焼くと縮むでしょう?それが私には合わなかったみたい。どちらかというと膨らむほうが好きですね」
 というなんとも愉快な答えが返ってきた。しかし、たまにだがそういう話を聞く。完全主義の作家たちの中には、自分の思い通りにならないというのが嫌で陶芸を嫌う向きもあるようだ。ここにも笹井さんの完全主義の一端を垣間見た気がした。
 漆はや大変丹念な仕事である。お椀一つでさえ、大変な労力と時間がかかる、しかし別の意味でいえば、一人で自分の思うとおりの作品を作りたい人には、一番向いている素材かもしれない。
 もう一つ興味深い話。ポーラ美術振興財団在外研修助成を得て、タイのチェンマイ大学に留学していたと聞いた。なぜタイだったのかという問いに、「みんな留学というと欧米が多いじゃないですか。私はみんながあまり行かないところが良かったんです」とのこと。確かに漆の勉強であれば、アジア、中国であろうが、ジャパンといわれる漆の勉強するのに日本からタイというのはちょっと意外であった。
 留学の仕上げとしてバンコクのアートスペースで展覧会を開いたが、笹井さんの造形を見たタイの人たちが、どんな反応を示したのか興味があった。
 日本では用の美という言葉があり、漆などはその最たるものではあるが、それがために工芸というジャンルの中では絶滅に瀕している。そいういう状況の中で360号でご紹介した藤野さんや前号の荒木さん、笹井さんのような若い造形力のある人たちが、何人か出てきているのは心強い。もちろん用の美は大切ではある。がそれだけでは技術も文化も向上はしない。ただそこにあるだけでほっとするような、癒されるようなものもあっていい気がする。
 展覧会では笹井さんが創ったキュートなものたちがたくさん並んで、微笑んでいるようにも見える。ところが手に取ってみると「私はここにいるわよ」というオーラを放って、その存在感を主張していた、そしてそれは笹井さんそのものなんだと強く思った。



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