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CRITIC

2009年 田境志保 豊田市美術館個展「愛しきかたち」リーフレット

漆器のつややかな面にそっと触れると、人肌に似たしっとりとしたぬくもりを感じる。それは他の素材では味わえない漆特有の感触である。随分と前のことになるが、笹井史恵は私に陶磁器やガラスを触ると「手のぬくもりが吸いとられてしまう」と話してくれた。確かに、茶碗やコップは冷たくて硬い。

陶磁器は焼成という過程を経て完成する。制作途中で作家の手を離れ、作品は窯と炎に託される。技と感覚がものをいう陶磁器制作の醍醐味ともいえようが、窯の中で作品は、炎につつまれ引き締まり、色彩豊かな姿に変容する。
一方、漆芸は何度も何度も漆を塗り重ねていく。薄い皮膜が層となり、少しずつふくらみを増す。気が遠くなるような時間をかけてゆっくりと制作される。作家の手を離れる時は、まさに作品が完成した時なのだが、漆芸作品にとって、作家の手を離れるということは、たとえて言うなら、母親の胎内から産み落とされ るようなものである。そして、どんな作品にとっても生みの親が肝心なのは言うまでもないが、漆器については育ての親次第でその後の人生が大きく変わることがある。
漆を塗った面は人の皮膚とすこし似ている。前述した感触はもちろんのこと、手入れの仕方も似たところがある。漆器はほどよいうるおいと多少の油(脂)分を必要とし、紫外線に弱く傷つきやすい。使っているうちに人の手指でつややかになり、洗ったり湿った布で拭いたりすることで水分が補われ長持ちする。時間とともに漆の塗膜は透明感を増すが、かなりの年月を経ると痩せてくる。使うことでも薄くなるが、欠けたり割れたりしても、また漆を塗れば甦る。つまり適度に手をかけてやれば美しさが保たれる が、長く放っておくととり返しのつかない状態になってしまう。 漆とは人との触れあいによって成長(変化)し、生きつづける素材であると思う。
そもそも漆は樹液であるが、ことに笹井史恵の作品にとっては、 まさに体液である一一植物や身体の一部を抽象化したかたちに、朱や潤といった血色のよい漆が漲っているかのようだ。
ところで、一般に漆といえば「つや」の美しさを愛でる傾向がある。つやを際立たせるために、漆を塗った面を研ぎ、磨きあげる呂色塗りという技法がよく知られている。この呂色仕上げをしたものは、息がかかることも指紋がつくことも憚られるほど繊細で、もっぱら眺めて鑑賞せざるをえない場合が多い。
しかし、笹井の作品はといえば触っても手の跡が気にならない。つやは控えめだが、触れば触るほど手脂で深みを増していく。ふくよかで、たっぷりとした表情の塗立てという技法で仕上げてあるからだ。
肉持ちのよい塗立ての、柔らかなぬくもりと丸みをおびた彼女の作品をひざの上に載せたとき、まるで生き物を抱いているかのような、そんな感覚にとらわれる。彼女の作品は、命の境目をいとも簡単に踏みこえる親和性と肌への浸透性をもっている。

遠く何千年もの昔から、日用品はもちろん建物や乗り物に至るまであらゆるところで使われてきた漆だが、今ではその姿と接するのは博物館のケースの中、ということが多い。漆と人との関係が希薄になり距離を感じる現代において、笹井史恵は漆のぬくもりを改めて手のなかに戻してくれた。

田境志保(豊田市美術館学芸員)



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