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CRITIC

2009年 外館和子「イン・ザ・フラワーガーデン」図録

(1)生い立ち一京都市立芸術大学へ
 笹井史恵は1973年大阪府八尾市に生まれた。田嶋同様、非産地出身の作家である。幼少の頃には、よくハサミで切り抜き遊びを楽しんでいたという。高校の美術部では油彩画も描いたが、画面に上手く収まらず、はみ出してしまうタイプであった。枠内で纏めるよりむしろ外へ向かう造形体質なのであろう。
 1992年、笹井は京都市立芸術大学(以下、京都芸大)美術学部工芸科に入学。同大では現在、1年生で様々な工芸素材を一通り体験した後、専攻を選ぶこととなっている。陶芸については、乾燥ー焼成と工程を経るごとに「作品が痩せていく」ことが不満であった。対して漆芸は僅かずつであれ「太っていく」ことにひかれたという。
 京都芸大の漆工は四つのコースに分かれており、当時、乾漆を新海玉豊、髹漆を望月重延、加飾を冬木偉沙夫(笹井2年生の時から栗本夏樹)、木工を藤崎誠が担当していた。2年生で漆工の様々な技法を課題で学習し、3年生は一つの作品を数カ月かけて仕上げる。笹井が学んだ発泡スチロールを胎とする乾漆手法はその頃既に珍しいものではなかった。
 日本で陶芸の非実用的造形いわゆるオブジェが世に登場するのは1940年代末のことだが、漆の世界でも1960年代には既に、笹井の師の一人でもある新海玉豊(本名新海治1939ー)らによって発泡スチロールを胎とした乾漆オブジェが作られている。
 漆芸の近代は、明治期に入り、近世までの蒔絵を中心とした発達の上に、意匠の革新や色漆の研究など、主に表面の加飾において始まるが、大正期以降は、乾漆技法の見直しと再発見により、漆芸における「塗り」そのものの可能性や、「塗り」と造形の関係を意識した表現が展開されていく。
 1963年から2004年まで京都芸大で乾漆の指導にあたった新海玉豊は、いち早く発泡スチロール胎乾漆オブジェを制作した作家の一人である。新海は1969年、京都の紅画廊で抽象的フォルムのオブジェによる個展を開催した。粘土や木を原型や胎とするよりも這かに軽くて扱い易く、割れなどを気にする必要もない上、ボリュームや曲面を自由に出し易い発泡スチロール胎は、乾漆表現を格段に広げる一方、天然の漆に「人工的」な発泡スチロールを組み合わせる(しかも脱乾漆ではなく、胎を残す場合もある)ことへの非難も激しかったという。しかし、漆は、木や金属ほか様々な胎と馴染み易い素材でもあり、現代の工業素材である発泡スチロールと結び付ける発想は、むしろ自然な成り行きであったともいえよう。折しも1969年、大学紛争が勃発し、その後、京都芸大の漆工カリキュラムは「改革試案」のもと前述のような「四人体制」の方針となる。京都芸大は、日本で唯一、発泡スチロール胎乾漆オブジェを授業で扱う芸術大学となったのである。
 笹井の在学中には、既に周囲の学生たちも発泡スチロール胎で乾漆技法に取り組み、また、2年生の時には当時漆芸界で注目の若手であった栗本夏樹(1961ー)が加飾の担当教員に赴任、笹井は大いに刺激を受けつつ伸び伸びと発泡スチロール胎の造形に取り組んでいる。
 制作には一般的な緩衝材としての発泡スチロールよりやや硬めのブロックに、大まかな線描きをし、ニクロム線で荒取りした後、ワイヤーブラシ、サンドペーパー、と段階的に面の精度を上げていく。その後、錆や糊漆で麻布や薄い和紙(近年はチェンマイのサー・ペーパー)を順次貼って素地を調整した後、本格的に地の粉・砥の粉で下地を作っていき、漆の塗りを重ねて仕上げていくというのが大まかな工程である。塗りは黒漆で面を充分整えた後、朱漆を塗り重ねて仕上げる。笹井の主要な仕上方法である「塗立」は、いわゆる呂色仕上のような「研ぎ」の工程は省かれるものの、壊や刷毛目を残さず塗るという繊細な技術を要する仕事である。発泡スチロール胎ならではの柔らかく軽やかなボリューム感と、かすかな温もりを示す塗立仕上との相性は格別だ。
 一方では笹井も、発泡スチロール胎乾漆以外に、粘土原型一石膏雌型から乾漆に至る、よりオーソドックスな乾漆も学び、また木胎に塗りを施す伝統的な手法も習得した。

(2)作風展開
 笹井の制作歴は1990年代半ば以降の15年程である。作品は一貫したイメージの連動性を示すが、敢えて画期を設ければ、表面の仕上方や胎についての考え方なども鑑み、2009年現在で次の4期を設定することができよう。
 Ⅰ膨らみあるかたちから芽吹くかたちへ、呂色ようになり、乾漆から脱乾漆技法を試みる 1998年から2002年頃、Ⅲタイで制作する2003年から2005年、そしてⅣ帰国以後のさらなるイメージの展開である。

I “成長"のイメージ、芽吹くかたち—呂色仕上から塗立仕上へ:1994-1998
 笹井の基本的な手法は前述のような発泡スチロールを胎とした乾漆技法である。発泡スチロールのうちでも粒子が硬めのブロックを選ぴ、マジックなどでざっくりとフォルムの 線を描く。紙にドローイングするよりも、胎にほぼ直接向かっていくのだという。糊漆で 麻布を貼り重ね、角やエッジなどは、地の粉などを混ぜながら漆を盛り上げる。漆は接着剤であると同時に塑形材でもあるのだ。形が整うまでは黒漆を重ねていき、表面に色漆を 2度、3度と塗って仕上げとなる。
 3年生の時に制作した最初の自由造形作品[めばえ1](1994)、[めばえ2](1994)などの丸みのある形態には、既に現在の笹井の方向性がかいま見られ よう。明らかな遣いは呂色仕上(上塗り後、研磨と生漆の制り込みを繰り返す技法)による 艶やかな光沢や、金粉、銀粉、乾漆粉を用いた装飾を加えていることだ。1995年のシリー ズ[みのる]は、内部の発砲スチロールを除去する脱乾漆とし、また「大作」を意識して [ひとり](1995)のようなパネル状の作品も試みた。
 その後1996年頃から発泡スチロール胎に木などを組み合わせて“発芽" “芽吹く" “伸びる"といった成長のイメージを強くしていく。“膨らみと突起"というコントラストの強いフォルムは植物・動物の別を越えて“成長するもの"をシンボリックに示している。また、この頃からそれまで用いていた呂色仕上を塗立仕上中心へと変更した。表面を磨きあげる呂色仕上の光沢とは異なり、漆の滑らかなぬめりを感じさせる「塗立」の技法は、生命の根源である血や肉も連想させるのである。

Ⅱ“生き物"から“動き"へ-乾漆と脱乾漆技法:1998-2002
 この“生き物イメージ"は、有機的膨らみを持つ壁画展示作品[Immemorial](1998)などへと展開、より一層観る者の視覚を刺激するようになっていく。漆の軽さ は床、台、壁と、自由に空間を閲歩するようになっていった。制作時は台座に置くことを 想定した作品を、漆の軽量性や脱乾漆のフォルムを活かし、ある時は壁にかけて展示する というようなこともある。
 想像力をかき立てるバイオモルフィックな造形の方向は[Acceptable](1999)と、作家最大の立体作品[Primordial](1999)に大きな成果を示している。作家によれば、これらの作品はそれぞれ女性と男性のイメージを担うという。愛らしくかつユーモラスなかたちは、命の歓ぴと這しさ、明朗快活で健康な工ロスをも示し、笹井の造形性をよく表している。
 愛らしさにもかかわらず自律的な存在感を示すその姿は、昨今しばしば指摘される1990 年代以降の美術におけるネオテ二一(幼形成熟)の傾向にも通じる。第一印象の可愛 らしさ、親しみ易さにもかかわらず、毒もあれば主張もある表現、それはやがてⅣ期以降の赤ん坊をモチーフにした[Beloved](2007)などへも顕著に表れていくのである。但し、笹井のフォルムには、もともと縦軸的な成長プログラムよりは、むしろ横軸的な展開の遺伝子が内蔵されているようだ。“年齢不詳の蛮態"は、アメーパが自在に形態を変容させる如く、制作の進展とともに展開していく。つまり、笹井の「幼形」とは、幼い形というよりもむしろ原初的形態であり、「成熟」は勿論、性的成熟に限定されるのでは なく、むしろ無性物化、中性化とでもいうべき性別を越えていく方向をはらんでもいるのである。
 不定形な有機性と、もぞもぞとした動きを感じさせるフォルムは、その後も[Ascending](2000)や[Secret Promenade](2001)、[A Pause] (2001)、[Float across](2001)、[Refrain](2002)、[Increasing](2002)などへと展開、いずれも想像力をかきたてるバイオモルフイズムとでもいうべき生命の根源的なかたちを示していく。
 ところで1999年から2002年頃のこの時期、笹井は作品の多くを脱乾漆で制作している。 作家によれば、作品内部に発泡スチロールが残っている状態が何とも気持ち悪く感じたのだという。作品の強度などからすれば残した方が望ましいにもかかわらず、作家は殆ど自己の生理的な理由で掻き出している。
 第三者の眼にはおよそ分からないと思われる作品内部の問題は、作り手にとっては重要 なウエイトを占めるようだ。1ミリの厚さのうちにも造形を意識するいわば“触覚的視覚" を持った日本の漆芸作家、工芸作家は、一般的な肉眼レベルや理屈を越えた感覚で作品を 見抜くのである。

Ⅲタイでの制作:2003-2005
 2003年から2005年、笹井は独自の漆文化の歴史をもつタイにわたり、現地の素材で 制作している。麻布の代わりに手漉き紙を使い、タヨー漆やミャンマー漆を用いて発泡 スチロールを型に花びらのようなかたちに作った作品は、その名も[Rak](2004)。タイでは「漆」と「愛」が同じラックと呼ばれることに作家は深い感銘を受けたという。既に2002年、笹井は作品[れもん]のように、自然の果実を乾燥 させて胎としたものを制作しているが、タイではココナッツやタマリンド、もだま豆などの素材を得て、のちにそれらの殻の形状を活かして漆のうつわを制作している。丸みのある木の実や果実の形態は、まさに豊かな命の成長の可能性を秘めた “充実のフォルム"であろう。“自然素材のうつわ"を経験しながら、脱乾漆のこだわりからも精神的にふっ切れていったようである。

Ⅳ霞郁たるイメージの連鎖:2006ー
 2007年には果実や木の実など命の源泉があたかも「帰化」したかのように、赤ん坊を モチーフにした[Beloved]のシリーズが誕生、それはまた赤ん坊に近いサイズ の果実[マンゴスチン](2007)や、[華ーはな](2008)へ、2009 年には花のような赤ん坊[Beloved](2009)へとイメージが重なり合いながら展開していく。いずれの作品にも共通の、はちきれるような生命への歓ぴを謡う謹郁たるフォルム、生き生きとした潤んだような艶に、観る者は思わず引き寄せられるであろう。
 新作の[華実]や[さかな]のシリーズへと、そうした造形世界はまさに現在進行形で展開中だ。作家はこれまで主に中国産漆を使用してきたが、今回の新作には、自ら採取も経験した大子漆のさらりとした伸びの良さ、発色のよさも活かされ瑞々しい躍動を示す。[さかな]のシリーズは脱乾漆の構造だが、勿論、容器にするために中を抜いたのではなく、壁を自由に泳ぎ回るための脱活である。
 「私は人聞が普遍的に持っている〈愛しい〉という感覚を基に、植物の実や動物、子ども から発展してゆくかたちを制作している」と作家は言う。この作家が制作してきた様々な「愛しきかたち」は、フォルムの内に抱え込む豊かさを、受け手と共有したいという愛情溢れるメッセージのかたちでもある。
 ただし、笹井の作品は、そうした抱き上げて撫でたくなるような衝動に駆られる可憐さと同時に、どこか得体の知れない不確定性や突き抜けた主張もある造形である。漆という素材がもつ明快な強さと確かな技術を武器に、笹井の原初的フォルムは外向的自律性をもって展開していくのである。

4結語一豊潤なる外向性の造形
 20世紀以降の造形芸術においてバイオモルフィック〈生命形態的〉な傾向は一つの大きな 主謂をなすが、田嶋と笹井はそれぞれのレベルでその今日的主力を担っている。田嶋はより具体的な、植物のもつ構造的秩序をもとに、また笹井は膨らみのある原初的フォルムの有機性から出発し、それぞれ生命力やヴァイタリティに変換していく。作品に内在し、作品から発せられる活力、エネルギーは、観者によって積極的に受けとられることが想定さ れているのである。田嶋は世代的に注目され「試された」時代を生きてきた女性であり、 やや若い笹井は、よりナチュラルな生き方がし易い世代という違いはあるが、両者に共通のしなやかでポジティブな造形性は、個人差や世代の遣いを別にしても、いかにも現代の女性作家らしいものだ。
 そうした外向きのベクトルはまた、田嶋、笹井に共通の“関西派"に顕著な姿勢でもあろう。笹井の師でもあり1980年代以降の漆造形界を牽引してきた関西の漆芸家・栗本夏樹はかつて東京と京都を比較して次のように発言している。「東京の方たちの作品は自分の内面に向かって作っていて、京都の方はモチーフを基にして自分の世界を外に向けて発展させて広がりを求めているのではないか」「東京」と「京都」を、「関東」と「関西」 に置き換えると、田嶋と笹井にもそのような“関西派"の性格がありありと表れている。
 二人の女性作家、田嶋悦子と笹井史恵に通じるのは、観者に語りかけようとするその作風である。ニヒリズムに陥ることなく、寡黙なストイシズムに甘んじるのでもない、田嶋 と笹井の作品は、ほぽ一貫して外向的だ。但し、この二人の外向性とは、一方的な自己主張やひとりよがりではなく、他者へ向けて働きかける意志を持った造形という意味である。換言すれば、娼びることとは別次元のインタラクティヴな感情を喚起する造形である。
 かつて「近代」は創造の主体としての「個」を確立するため、作り手至上主義の芸術理論を築き上げてきた。とりわけ工芸系素材を扱う者は、「近代」を受容する中で他の表現ジャンル以上に一層毅然とした態度が必要とされた。しかし、「自我」なるものが実は他者の存在を抜きにしては成立しないことを「現代」は徐々に示しつつある。
 そのような今日、田嶋と笹井の作品は、豊かさを共有し、精神的実感を誘い、“共有と共 感"を提案する。「わたしたちの楽園へようこそ」という本展のキャッチコピーには、作家 たちのそのような“対等のまなざし"が込められている。謙るのでもなく見下ろすのでもないエナジー・セッションを志向する造形世界。縦のヒエラルキーではなく、横の繋がりや関係を尊重していく彼女たちの姿勢に、21世紀の新たな世界観と未来への希望を、我々は見いだせるのではないだろうか。

とだてかずこ/茨城県つくば美術館主任学芸員



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